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〜 谷山浩子と本のあるところ 〜 

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未明という名の少女
 ミ メイ
 未明は影の薄い少女でした。
 薄い、ということがあなたにはよくわからないかもしれません。だけど、もし真昼の太陽の下であなたと未明がならんだとしたら、きっと未明の影はあなたの影の半分ぐらいしかないということがわかるでしょう。未明の影はそのぐらい薄かったのです。
「どうしてそんなに影が薄いの?」とあなたは思うかもしれません。そのことを未明にたずねた人はきっと今までにも何人もいたのと思います。けれど、それに答えることは未明自身にも他の誰にもできなかったのでしょう。未明の影はおそらく生まれた時から薄かったのでしょうし、それをなおす方法だって誰にもわからなかったのです。
 未明はそんなふうに人と違っている自分の影のことを気にしていたのでしょう、まだ日の高いうちはなるべく人の目につくところへは出かけていかないようにしました
 そうして、未明はひとりでいることがいつのまにか当たり前のようになっていきました。そうしているかぎり、未明は影のことを人からたずねられるような嫌な思いをすることはなかったのです。
 そんな未明が家の外に出るのは夕暮れや夜明け頃だけと決まっていました。そして、未明はそんな時、人通りの少ない道を歩きながら自分の影にこんなふうに話しかけていたのです。
「どうしてあなたはそんなに薄いの?」
 だけど、もちろん影がその質問に答えることはありませんでした。未明はそんなふうに影に向かって話かけている自分がだんだん嫌になっていきました。そのうち未明は自分の影を見ることさえもしなくなりました。
 そんなある日、未明がその男と出会ったのもいつものように日が沈んだばかりの公園を散歩している時のことでした。
「…もしこの人と一緒にいたら私の影も他の人と同じようになるかもしれない」
 彼を初めて見た時、未明はそんなふうに思いました。未明にとってはそれほど彼の存在は強く、世界中を照らし出しているかのように感じられていました。
 未明は夜がくるたびにその男と会うようになりました。彼と会っている時は、たとえそれが真夜中でも、未明にとっては真昼のようにまぶしく光りかがやいている時間でした。
 けれど、そんな時間はあまり長くは続くことはなかったのです。
 そのうち男は未明を夜の街へと連れ出すようになりました。未明は夜の街には行ったことがありませんでしたが、彼と一緒ならどこへ行ってもいいと思っていました。でも、夜の街がまるで昼間のように明るさに満ちている場所だということを未明は知らなかったのです。
「君の影って本当に薄いんだなあ。どうしてそんなふうになっちゃったんだい?」
 彼がそう言ったのは、ひときわ明るい電飾が灯る店の前でのことでした。
「噂を聞いた時は冗談かと思ったよ」
 男は笑っていました。
「この人はそんなことを確かめるために私をこんなところに連れてきたんだ」
 そう思った時、未明は何も見えない真っ暗な世界に立っていました。どうしようもない寒けを感じながら、未明はいつのまにかさまようようにふらふらと歩きだしていました。
「こんなに真っ暗なら影なんてあってもなくても一緒だよね。私の影なんてはじめからなくていいのに。私も消えちゃえばいいのに」
 そんなふうに目の前の暗闇に向かってつぶやきながら歩いていました。
「もう光なんてほしくない。もう朝なんか来なくていい」
 どれくらいの時間がたったでしょう。いつの間にか東の空が白んできていました。未明は自分がいま歩いているところがいつも来ていた公園だということに気がついて、そのままベンチに腰掛けました。目の前の地面には、ずいぶん長い間見ないようにしていた自分の影が伸びています。
「…自分の影からは逃げられないのかな」
 そう未明はつぶやきました。そこにはあるのはやはり以前と変わらない自分の影でした。
「え?」
 未明は思わず声をあげました。そこにはなぜか未明の影がふたつあったのです。いえ、自分の影がふたつあるわけはありません。それなのに自分と同じように薄い影があるのです。未明は思わず顔をあげました。
「おどろかせちゃったかな?」
 そう言って僕は未明に笑いかけていました。
「うん…。すごくおどろいたよ。あなたも…あなたもそうなんだね」
 僕はうなずきました。
「きっとおどろくようなことじゃないんだ。たとえ影が薄かったとしても。夜になっても影は消えるわけじゃないし、影が薄いという事実も消えたりしない。影だけじゃなくて君も、…そして僕も」
 未明はゆっくりと立ち上がって、こう言いました。
「私は…私たちは他の人のようにはなれないんだね。きっとずっとこのまま。…それがあたりまえなんだね。これが私、他の誰でもない私。…そうなんだね」
「うん。だから逃げることなんてないんだ。影からも自分からも。ずっと一緒に歩いていくんだ。本当は僕と君の影だって似てはいても違っているんだと思う。だけど僕は君のことが好きだし君の影も好きだよ」
 僕には未明がかすかにうなずいたのがわかりました。
 それが、僕と未明との出会いでした。
 まだ誰もいない明け方、ふたりを照らした薄明かりが、ひとつにかさなった影を公園の地面に描き出していました。

あとがき
 96年10月の作品。
 某カントリーガールみたい……という話もあるんですが(^〜^;) 人称で仕掛けをしてみるというのは興味があって、これからもいろいろやってみたいとは思ってます。