う た た ね こ や
〜 谷山浩子と本のあるところ 〜 

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臨月
 おなかの中から男の声が聞こえる。その声が「おまえを殺してやる」と言っている。
 …そんな夢を見るようになった。
 あなたにそのことを話しても、
「もうすぐ子供が生まれるからな。それで少し不安になってるんじゃないのか」
 そう言って笑うだけだった。
 こんな夢を見るようになったのは子供ができた事がわかってからだから、きっとその通りなんだろう。
 だけど、そう思うようにしてもやっぱり私は不安だった。そしてそれは私のおなかと一緒にだんだんと膨らんでいくようだった。

 そんなある日、あなたは私と同じような夢を見たと言い始めた。
「あいつだった」
「誰…あいつって?」
「あいつだよ。おまえの前の男。殺してやる、と言っていた。おまえの腹の中で」
 あの人のことか。
 私の夢とは違う。そう思った。少なくとも私の夢に出てくるのはあの人ではないと思う。
「おまえの腹の中の子供があいつの生まれ変わりで、俺達に復讐するために生まれてくる。そんなふうに思わせる夢だった」
「なに言ってるの? この子は私たちの子供なのよ。変なこと言わないで。復讐だなんて、それじゃまるで私たちがあの人を殺したような言い方じゃない」
 あの人は村の外れの森の中で見つかった。頭から血を流して死んでいたのだ。殺されたらしい、と村の人たちの間では噂されていたけれど、本当のところはよくわからないまま。そして時が過ぎた。
 私はあの人とはいろいろあったけど、生まれ変わって復讐されるほどのひどいことはしていないと思う。それはあなただって同じはずなのに。
「もう死んだ人のことなんて忘れましょうよ」
「ああ…。でもあれは確かにあいつだった。どうしてなんだ? 俺は何もしていないっていうのに…」
 あなたはその後もずっとそんなことをつぶやいていた。
 それ以来、もう私はあなたとはその話はしないことにした。
 あの夢はだんだん頻繁に見るようになっていた。だけど、もう今の私は誰にこんな話をすればいいのだろう?
「…そのおなかの子供、本当に俺の子供だよな?」
 突然、あなたはそう言った。
「まさかこの子があの人の子供だなんて言うつもりなの? なに考えてるの!? この子がお腹の中にできたころにはあの人とはとっくに何でもなくなってたのよ」
「本当にそうか? 子供ができた時にはあいつは生きていた。それならそのおなかの子があいつの子供だっていう可能性もあるわけだ。だからこそ実際にあいつはそのことでおまえに嫌がらせをしてきた。いや…まてよ、違うな。そうか…」
 そこであなたは言葉を切って考え込んでしまった。そして、しばらくしてふと顔をあげて言った。
「…出かけよう」
 私が重いおなかを抱えながらあなたの後について外へ出た。空には私のおなかと同じような円い月。
「それは俺の子供だ」とあの人は言った。だから俺と一緒になれ。嫌だというのならあなたにこのことをばらすと言われたのだった。
 薄暗い道をあなたは黙って歩いた。そして私も。やがて私たちが村の外れ、あの人が死んでいた森の中に入ったところであなたは振り向いた。
「あいつから脅されてるということをおまえから初めて打ち明けられた時、俺はそれが全く根拠のない嫌がらせなんだろうと思った。だけど本当はそうじゃなかったんだろう?」
 あなたはいつのまにか大きな刃物を手にしていた。
「全部あいつの言った通りだったんだ。そうでなければなにも殺す必要なんてなかったんだ」
 いつから刃物なんか持っていたんだろう? 森の中に隠してあったのだろうか。
「あなただったの!? あの人を殺したのは…」
 足が自然にに後ずさっていた。「お前を殺してやる」という言葉が頭の中を駆け巡っていた。逃げなくては。
「何をしらばっくれてるんだ。殺したのはお前だろう。俺は死体を運んだだけじゃないか」
 何を言ってるんだろう。私が…ころ…した…?
 きっとあなたは狂ってしまったんだ。
 私はここで殺されるのだ。あなたが少しずつ近づいてくる。このおなかでは逃げるなんてできない。
 …そう、私のおなかには子供がいるのだ。この子は…そう、あの人のものではない。そしてもちろんあなたのものでもない。
 私はおなかに手をあててみた。こうするとこの子の声が聞こえるよう。そうだ、「殺してやる」と言っていたのはあなたでもあの人でもない。その声は私のおなかから聞こえているのだから…。
 そして私は意識が遠のいていくのを感じていた。
 あなたが死んだのを聞いたのは、その日私が起きてまもなくの事だった。あの人と同じような死に方だったらしい。
 私の事を疑う人もいたけれど、こんなおなかの私に人を殺せるはずはない。私は家でずっと夢を見ていたのだ。
 それは、私のおなかの子供が不思議な力であの人やあなたを殺していく。そんな夢だった。
 だけど、そんなものは、もちろんただの夢。本当にそんなことがあるはずはない。そしてきっともうそんな夢を見る事もないだろう。
 もうすぐこの子が生まれてくる。そう、私の子供。この子がいれば私は寂しくなんかない。

あとがき
 96年12月の作品。
 4回目の採用作品です。最後にかかった曲は「心だけそばにいる」でした。
当時、「妊娠している時の精神状態ってどんな感じなんだろう」みたいなことを思って話を考えていたのですが、なぜか恐い話になってしまいました(^〜^;)