少女3部作 ― III
この街はあまりに大きく、そして行き過ぎる人はあまりにも多すぎた。迷子になってしまったのもきっとそのせいだろう。出会うのは知らない人ばかり。誰にも話しかけられず誰かに助けを求めることもできなかった。
そう、これは夢。いつも見ている夢だ。この後の展開もわかっている。やがて疲れきって倒れて動けなくなり、そしてどうすることもできないままこの夢は終わり。
いったい何度同じ夢を見なくてはならないのだろう。
いつのまにか、私の部屋で一人の少年が眠っていた。
ここは私の夢の中。だからこの部屋には私しか入ることができないのだとずっと思ってた。どうしてこの少年はここに来れたのかしら。そう思って少年の顔をじっと見つめる。
……私が夢の中に逃げてきたのはいったいいつの頃だったろう。
私の心はいつからかまわりにいる人たちの無遠慮な言葉に傷つき、別の人たちの身勝手なやさしさに押し潰されそうになっていた。私がここに住むようになったのはそのせい。それはもう思い出すこともむずかしいくらい昔の話なのだけど、私は今でも涙を止めることができなかった。
そう、私はずっとひとりぼっちで泣いていた。
だけど今は違う。少年も眠りながら涙を流していた。私と同じように。
もしかするとこの少年の夢と私の夢は繋がっているのかもしれない。ひょっとしたら人間の見る夢はみんなどこかで繋がっているのかも。少年の涙を見ているとそんなふうに思えてくる。この涙はきっと私の涙と同じものだから。
あなたはいったい誰? どうしてここにいるの? そう問いかけてももちろん答えはない。でも、それでもいいと思う。私なんて自分の事さえ何もわかっていない。少年にしてあげられることも何もない。それでも少年がここにいるということだけは確かなのだから、それだけで十分だと思う。
私はもう泣かないことにした。自分の事を悲しむのはもうやめよう、それより少年の涙をとめる事さえできないとしてもそれでも何かしてあげたい。そう思った。
私は少年に歌をうたうことにした。名前も知らないけれど私の1番好きな歌を。それはまるでこの少年のように懐かしい歌だと思った。毎日歌った。
だけど、少年が眠りからさめることはなかった。
ながい時が過ぎたある日、私はそれが自分のせいなのだと感じた。私はもう元の世界には戻れないかもしれない。だけどこの少年はきっとまだ戻れる。それを私の心が引き止めているだけなのだ。
あなたは帰らなくちゃいけない。こんな所にいつまでもいさせちゃいけない。そう思う。いくら似ていたとしてもやっぱりこの少年と私とは違う。
だけど私はやっぱりこの夢から出る勇気は持てなかった。それができれば少年を元の世界に戻してあげることができるのに。
でも、私が夢からさめなくても少年を帰すことのできる方法があること、ふたりの夢を切断できる方法があることに私は気づいていた。
それはとても簡単なこと。他の多くの人に対してそうしてきたように少年を拒絶する。そうすれば少年は私の夢から抜け出せる。
夢からさめてもあなたは眠っている時のことを知ることなんてないでしょうね。そう少年に話しかける。とうとうあなたの涙をとめる事もできなかったね。だけどもうお別れをしなくちゃ。
さよなら。一度でいい、あなたの声を聞きたかったな。
そして、少年は私の部屋から消えた。
少年の夢を切断することは私の心を引き裂いて穴をあけた。涙が出るほどの痛みだった。もう泣かないことに決めたはずだったのに、後から後から涙が溢れた。
だけど、今の私にはあの少年からもらったものがある。あの歌を教えてくれたのはきっとあの少年だったんだ。
そうだ、この歌をうたおう。あなたの名前を呼ぶかわりに。そして私の名前を叫ぶかわりに。
朝、僕は目覚めた。どうやらいつもの夢を見ていたらしい。でもいつもとは違うとてもながい夢だった、そんな気もするけどよくはおぼえてはいなかった。夢なんてそんなものだろう。
だけど何かが僕の頭の中に流れている。何だろう? 歌だ。それは名前も知らないけれどとても懐かしいような気がする歌だった。
これは夢の記憶だろうか。いや、そうじゃなくて今も誰かがどこかでこの歌をうたっているのかもしれないと思った。君は誰? どこにいるの? もちろん答えなんてなかった。だけどこの歌が答えそのもののような気がした。
涙が流れていた。悲しいわけじゃない。うれしかったからだと思う。
ありがとう。僕はここにいるよ。僕もこの歌が好きだよ。
僕もこの歌をうたおうと思った。この思いを伝えるために。この街は大きくてそこに住む人は多いけど、この歌をうたっていればきっといつか君に出会える。そんな気がする。そう思っただけで元気が出てくるみたいだった。
歌は風に乗ってやってくるようだった。そして僕は今、その中をゆっくりと歩き始める。そう、いつか君とこの歌をうたうために。
あとがき
96年7月の作品。
3部作の最後の作品。ボツでしたけど個人的にはとても好きな話です。「ここにいるよ」という言葉がすごく好きなので使ってみました。もともとは自作の歌のイメージをもとに書いております。