う た た ね こ や
〜 谷山浩子と本のあるところ 〜 

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 紀元前3500年頃 メソポタミア文明が興る


 お元気ですか?
 前回のお手紙から少し間があいてしまいましたね。わたしのほうは幸いなことに体調を損なうこともなく健康に過ごしています。しばらくお休みをさせてもらうので、引き継ぎなどで忙しい日々を送っていました。
 そんなわけで、だんだんお腹が大きくなって来ている以外はあまり変わらない毎日なのですが、それでもきょうはちょっとだけ特別な日だったんですよね。そのことをあなたに話したいと思ってまた拙い文章を書いています。慌しい日々からもそろそろ解放されそうですしね。
 こうやって黙ってキーを叩いていると雨の音がよく聞こえます。雨のせいか、少し寒いでしょうか。真っ暗な夜の空からあらゆる地上のものへと注ぐ雨。それが目に見えるわけではありませんが、おだやかな雨音は心地良いリズムとなって途切れることなくわたしの耳へ届いています。
 世界を叩く雨。その音だけが聞こえる静かな部屋。世の中から切り離されたようなこの場所からあなたへ宛てたいつ届くかもわからない通信を送ろうとしているわたし。
 ここでひとりぼっちになって言葉を選んでいると、この手紙をあなたが読む日が来ることも本当にあるかもしれないと、手を止めてそんな空想をしてしまったりもします。
 雨の音を聞いているとどこか気分が落ち着きます。海の中から生まれて来たというわたしたちの体が水の中で暮らしていた頃を懐かしく感じているのでしょうか。部屋の中にいても「雨が降って来たかな」というのはちょっとした空気の変化みたいなものだけでもわかる時があるように思います。
 数十億年前に初めてこの星に降り注いだ雨があって、それは幾筋もの川となり、大きな海をつくった。そこで生まれた生命の中から人間が現れて、道具や言葉を使うようになり、やがて文明をつくっていく。その長い時間のあいだにも雨はくり返しくり返しこの星の大地に降り注いで、人間たちはいつもその恵みを受けて来たのですよね。文明が生まれたのだって大きな川のそばでした。
 わたしたち人間はいつもやさしい雨に見守られ、育てられて来た。――こんなこと、文章にしてみるとひどく当たり前のことなのですが。
 でも、当たり前なのにそのことについて実はちゃんと考えてもみたこともないというようなことはきっとたくさんあるのでしょうね。もちろんまったく知らないことだってたくさんあります。……たとえば、この世界に人が知らなくてはいけないことがいま降っている雨と同じ数だけあるとしたら、わたしが知っていることというのはその中で自分の身を濡らす雨粒くらいのものでしかないのかもしれません。


 1445年 グーテンベルクが活版印刷を始める


 いま手紙を打っているわたしのそばに1冊の本があります。何かというと、歴史の本です。……といっても難しい本ではありません。昔は中学や高校で教科書に使っていたような本なのかもしれません。
 歴史的な出来事が並んでいて、その出来事についての簡単な解説が載っている。そんな感じの本ですが、最近はそれを何となく眺めたりしています。さっきの人類の文明がどうのなんて話はその影響ですね。
 学生の頃、こんな年表のようなものを憶えさせられました。そういうのはわりと得意だったように思うのですが、いまになってみるとなかなか思い出せなかったりします。
 これを眺めていて、ここにあるような過去の出来事というのは雨のようなものだな――と最近は考えていました。雨となって人類に降りかかった出来事が集まり、それが川となって海に注ぎ、それがこんどは言葉の雨粒となっていま生きているわたしたちの身に降って来る。わたしたちはその雨に少しずつ打たれながら歴史という大きな川があることを知るんじゃないか。


 1543年 コペルニクスが地動説を唱える


 数学や科学でもそれは同じなのでしょうね。あの頃に学校で習っていたようないろいろな公式や定理や法則を集めることでこの世界はその姿を人に感じさせてくれる。地動説を証明したガリレオは「宇宙という本は数学的言語で書かれている」という言葉を遺したそうですが、彼が式で世界というものを知ろうとしたように、いくつもの言葉や数や記号で世界へ向かってその手を少しずつ伸ばしていく過程が人間の歴史なのでしょう。


 1903年 ライト兄弟が動力付飛行機による飛行に成功
 1905年 アインシュタインが特殊相対性理論を発表


 その、世界に手を伸ばすための力の中でも特に大きなものを、20世紀の人間は新たにふたつ手にしました。


 1914年 第1次世界大戦勃発
 1939年 第2次世界大戦勃発


 でも、人間はすぐにそれを同じ人間を殺すための力として使うようになりました。……これは過去の話ではありませんね。人間は、人と手を取りあえるはずの力で傷つけあい、世界を知ることの出来る力で世界を敵にまわして来たのです。
 知らない土地で出会った人間と戦い、思想の異なる人間と殺しあい、誰がどんな理由で始めたのかもわからなくなった戦争を続けていく。それらは決して特別なことではなく、歴史の表舞台で何度もくり返し行われて来ました。
 こんなことが起こるのは人間が愚かだからなのでしょうか。もっともっと知識を蓄えることが出来るようになれば避けることが出来るようになるのでしょうか。あなたの暮らしている世界ではどうですか? もうそんな争いは起こらなくなっているでしょうか?
 人類が戦争をなくすことが出来るかどうか、わたしにはまだ答えられません。でも、やっぱりどうにかしてもっとうまくやっていけるのではないかというのが正直なところです。もしそうでなければ、たとえどんな発見をしたってどんな知識を持ったって人類は本当の意味でそれを役に立てることが出来なかったということになってしまうように思うのです。


 1969年 アポロ11号が月に到達


 20世紀の後半には宇宙へと飛び立つための翼をも人類は手にしました。
 でも、その翼で宇宙への第一歩がしるされている時も、そしてそのあとも、人間たちの住んでいる地球は戦争の星でした。
 人生には晴れの日もあれば雨の日もあるわけで、長い歴史の中で人間が争いをくり返すのもそれと似たようなものなのかもしれない。そう思うこともあります。それでもこの歴史の先に、人間たちは争いからも何かを学んでそれを良い形にしていくことが出来ると思いたいです。人類が生まれてからのおよそ500万年という時間の中で、宇宙へとかろうじて飛びたてるようになったのはつい最近のこと。その歴史はカタツムリの歩みのようなものですよね。人の一生は短いから、自分の理想とする世界を早く実現させたいと焦ったりもするのでしょう。でも、ひとりの人間からすれば思うように進むことなどないゆっくりとした人の歴史でも、人は次に生まれてくる世代へとこれからも川をつなげていくことが出来る。だから、もしも激しい雨の中にいたとしてもしっかりとそれに耐えていくことが出来たならと思います。雨の日に見つけたカタツムリの行方を追いかけるような気持ちで。
 ……ごめんなさい。またつまらない話をだらだらと書いてしまいましたね。いつもあなたにはこんなふうに余計なことばかりを書いてしまっている気がします。まだ見ぬあなたはこんな手紙をどんなふうに思うのでしょう。でも、よければもう少しおつきあいくださいね。
 わたしが持っているこの本に載っている歴史はこのあたりまでです。この本は親が持っていたものなのですが、たぶんもっと古いものなのだろうと思います。いまでは本というものがあまり作られていないので、わたしたちの生きている21世紀の出来事が載っているような歴史の本というのもほとんどないでしょうね。でも、歴史はそれからももちろん綴られています。閉じた本の先にある歴史を記録として残していくことはわたしやあなたにだって出来ることです。たとえばこんなふうに――。


 2027年 地球外知的生命体の発した電波が受信される


 その年、人類は宇宙の向こうからひとつの信号を受け取りました。受信出来たのはほんの短い電波だったということですし、そこから意味を汲み取ることも出来なかったのですが、それは自然現象ではなく、間違いなく電波を扱うことの出来るだけの文明を持った知的生命体がいることを示していました。
 わたしたちはどこかの星で見知らぬ誰かが発した電波によってこの宇宙に仲間がいると知ることが出来たのです。
 これもわたしが生まれる前にあったことですが、21世紀になってからいままでで最も大きな出来事だと思っています。
 実際、この事件についても続けて特別な出来事が起こったわけではないのですよね。ずっと調査が続けられていますが、まだ同じ電波を受信することにも成功していません。あの電波が遠くにいる誰かからのメッセージだったとしても、それをわたしたちのところへ向けたのは偶然で、同じようにまた地球のほうへ語りかけてくれるとは限らないのですね。だからわたしたちはその星にいる誰かのことをまだ何も知りません。その誰かだってわたしたちの存在は知らないし、わたしたちが電波を受信したことも知らないはずなのです。
 だから、こんどはこの星の人間たちが宇宙の向こうへメッセージを送りました。

「わたしたちは地球人です。わたしたちはここにいます」

 まだ返事はありません。でも、人類はもう誰もいないかもしれない宇宙に話しかけているわけではないのですよね。地球外の生命体に向けてメッセージを送ろうとしたことはそれ以前にもありましたが、その頃とはメッセージを送ることの意味が違っています。
 受け取ってくれるかもしれない相手がいると知っているのであれば、そこへメッセージを送ることは決して無理なことでもむなしいことでもありません。
 宇宙の彼方にいる誰かのことを知ってから人間たちが始めたこと。それはこの出来事がなければなかなか実現しなかったことのように思います。自分たちを「地球人」と呼ぶことも、メッセージを送り続けることも――。そこに自分たちと近い存在がいる。それを知ったことは人類にとって何も見えない夜の闇の中にひとつの灯りを見つけたようなものなのかもしれないと思います。
 いまもメッセージは送られています。遠い隣人のところへ地球から発した電波が届くのにかかるのがおよそ40年。もしもその星にいる誰かが耳をすませて宇宙からの声を待っていてくれたとしたら、ちょうどいま頃最初の通信を受け取っているところです。
 そうです。その地球から送った初めての電波があの星へ届く日が、実はきょうなのです。
 それがあなたに話したかったこと。
 ……ようやく本題にたどりつきましたね。これを読んだあなたはあきれているかもしれません。話が長くなるのは人類がここまでたどりつくのに長い時間がかかったことと同じだなんて書いたら余計にあきれてしまうでしょうか? でも、本当のところは地球からの通信を誰も受け取ってはいないかもしれないし、だからきっと歴史のテキストには残らないだろうけど、この地球で生まれ育って来た人間が長い歴史を重ねて初めて他の星へメッセージを届けたという、きょうはそういう記念の日なんです。それをあなたに聞いてほしかった。……というよりも、やっぱり記録にして残しておきたかった、ということなのかもしれません。
 あの星へ宇宙船を飛ばそうという計画も始まっています。いまの技術で片道200年かかるそうです。その宇宙船を飛ばせるまでにも20年近くかかります。これもひとりの人間からするとちょっと考えにくいことですね。でも、たとえ行く先に道がなくも人間は闇の中に見つけた灯りに向かって道をつくってでも歩いていくのだと思います。そのためにいろいろな国やたくさんの人間が計画に参加しています。全地球的というか、全人類的な計画といってもいいかもしれません。もちろん、それに参加していない国もあるるのですが。この計画が進んでいるいま戦争をしている国だって当然あります。
 不思議ですね。遠い宇宙の向こうにいる誰かに話しかけたりわざわざ会いにいこうとしているのと同じ人間が、こんな狭い地球のすぐ近くの国どうしで争っているのですから。
 わたしたちの子孫が本当に彼らと会うことが出来たとして、その先の未来にはひょっとしたら彼らと人間とで戦争になるようなこともあるのでしょうか? あなたが生きているうちには人類のメッセージに対する彼らからの返事が来て、それに人類がまた返事を送ることも出来るかもしれません。ひょっとしたらその時の意思疎通に失敗して、出会いの場面で争いの種をまいてしまうようなこともあるかもしれません。
 ――でも、こんなことを心配していても仕方ありませんね。わたしはどちらかというと楽観的なんですよ。
 あなたがこの手紙を読むことがあるとしたら、それはいつのことでしょう。きっとわたしが死んだあとのことだろうと思います。そのほうが良いのでしょうね。まだわたしのお腹の中にいるあなたへこんなことを書いているというのはちょっと恥ずかしいですから。
 もう少しで生まれて来るあながた大人になる頃、世界はどうなっているのか。まだおばあちゃんでもないわたしがそれをただ眺めているだけというわけにはいきません。雨がやがて空に還ってまた降るように、わたしがこの世界で受け取って来たいろいろなことをこんどはあなたに手渡していく番なのですから。宇宙を渡る翼をつくるのは素晴らしいことですが、あなたやわたしがこの場所でしっかりと生きていくことはこの世界にとって同じくらい大事なことのように思います。あなたと一緒にここで生きて、もっといろいろなことを知って、未来へと歩いて、たまに遠い星にいる友達のことを想う。それがわたしの生きる翼なんだと思います。
 やっぱり恥ずかしいので、わたしが元気なうちにこの手紙を見つけても出来れば内緒にしておいてくださいね。ファイルは端末の奥のほうへしまっておきます。……でも、そう言っている文章をあなたが読むことを想像しながら打っているのだからおかしな話ですね。本当のところは自分でもよくわかりません。
 ずいぶん長くなってしまいましたね。そろそろこの手紙も終わりにしたいと思います。
 雨はまだ降っているようです。
 あの星にも雨は降っているのでしょうか。
 彼らはどんな言葉を話しているのでしょうか。
 やっぱり仲間どうしで争ったりすることもあるのでしょうか。
 わたしたちにはまだ知らないことがたくさんあります。彼らのことだって何も知りません。それがわかるようになるのは彼らからの返信を受けるあなたの世代、そしてもっと先の世代ということになるのでしょうね。未来がどうなるのかはわかりませんが、きょうという日が来たように、人間はきっとその日へ辿り着くのでしょう。いまはまだその長い旅の途中です。
 わたしやあなたという雨を集めてこの星を流れていく、歴史という川。同じように彼らの星を流れて来た川。そのふたつの流れが出会った時、誰もがそれを喜べる世の中であってくれたらと思います。
 それでは。


あとがき
眠りの森会報「Moon Song」第19号(2003年8月)に掲載させていただいた作品。「学びの雨」をメインにアルバム「翼」のいろいろを詰め込んで書いてみた話です。2002年の猫森集会で「学びの雨」を聴いた時に「この曲はロケットSFだー」と感じたのがきっかけ。……ロケットSFが何なのかもわたしにはわかっていないような気もしますが。

サーチ:
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