う た た ね こ や
〜 谷山浩子と本のあるところ 〜 

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海へ
 その人は空を見ていた。荒れた大地の上に広がっていく空を飽きることなく見つめている。それがいつものことだった。
 少年はそのとなりで同じように空を見ているのが好きだった。
「どうしていつも空ばかり見てるの」
 ある日少年は彼にそうきいてみた。
「雨を待っているんだ」
「なんだ。そんなの待ってたって無駄だよ」
 少年の住む土地にはもう長い間雨が降らず、そのため作物もなかなか育たなかったのだ。
「いや、そんなことはないさ。だって私には明日よりも先の天気がわかるんだから」
 その人は雲の流れを見るようにして目を細めた。
「そうだな…。あと10日。10日後には嵐が来る」
 そう言って少年の顔を見た。
「信じていないな。…まあ、待ってることだな。雨は、必ず降る。そうしたら私はまた旅に出る」
 その人は旅人だったのだ。ある日この村にやって来て、そしていつのまにか少年の家に居つくようになっていた。
 どんな人間かもわからないこの旅人を村の人たちは嫌ったようだったけれど、家族もいなかった少年はその人にどちらかというと好意を感じていた。
 だけど、本当に雨なんて降るんだろうか。少年はそう思った。

 10日はあっという間だったが、雨はまだ降らなかった。
「君も、私と旅に出ないか」
 その人がそう言ったのは、10日目にいつものように二人が空を見ていた時だった。
 少年はどう答えればいいのかわからなかった。
「どこまで行くの?」
 その人は「海だ」と答えた。
「君は海は見たことがあるかい?」
 少年は首を横に振った。
「それじゃあ、人魚も見たことがないだろう」
「えっ? …人魚!?」
「私も海は見たことがない。だけど一度だけ人魚に会ったことがあるのさ。しかも陸で。信じてもらえないかもしれないけどね」
 そう言ってその人は笑うのだった。
「海に帰った人魚にもう一度会いたくて私は旅をしてきた。だけどこの広い大陸ではどっちへ行けば海に出られるのかさえ私にはわからなかったんだ」
「それじゃあ、どうするの?」
「それで雨を待ってるんだ。海がどこにあるのかを雨は知ってる。だってふるさとなんだからね」
 そこまで話した時、いつのまにか目の前に村の男たちが5人、並んで立っていることに二人は気がついた。
「おい」その中の一人が言った。
「お前、雨が降るとか話していただろう。全然降らないじゃないか」
「もう、すぐに降るはずだ。この空を見ればわかるだろう」
 本当に空はもう黒い雲で埋め尽くされていて、いつ雨が振りだしてもおかしくないように見えた。
「うるさい。こんな天気なら今までも何度もあったさ。でもまともに雨が降ったことなんかなかったんだ。昔はこんなじゃなかったんだけどな」
 ほかの男たちが二人の取り囲んでいた。そして話し終わった男は、その人をにらみつけながら腰に下げていた剣を抜いた。
「いいかげんなことを言った責任を取ってもらわないとな」
 男たちは一斉に動いた。少年は「やめろ!」と叫んだが、その後はもうよくわからなかった。その人は剣を持った男に向かっていったようだけれど、少年はその時すでに男の一人に捕まって身動きが取れなくなっていてそれどころではなかった。
「おまえもこの村にいたけりゃおとなしくしとくんだな」
 少年は抵抗できなかった。
「心配するなって。あいつにちょっと痛い目を見てもらうだけさ」
 しかし、その人は男からうまく剣を奪い取ったようだった。少年が見た時には、ちょうど男から離れて威嚇するように剣を振り上げたところだった。
 その瞬間、世界が光った。
 少年は一瞬なにが起こったのかわからなかった。
 ただ、次の瞬間には鼓膜を破るような激しい音が響く中で既に黒いかたまりになってしまったその人がゆっくり倒れていく姿を少年ははっきり見たのだった。
「雷だ!」
 誰かがそう叫んだ。
 その人に雷が落ちたのだということにようやく少年が気がついた時には、男たちはもうとっくに逃げ出した後だった。
 いつのまにか頬が濡れていることに少年は気がついた。一瞬、涙かと思い、そしてはっとして空を見上げた。
 …雨が、降り始めていた。

 嵐は何日も何日も続いた。
 少年は雨が降ったのよりもっとひさしぶりに泣いた。ひとしきり泣いて外を見てもまだ雨は降っていた。少年は前に泣いたのがいつだったかと思い、それは両親が死んだ時の事だったと思い出してまた泣いた。
 こうして毎日が過ぎ、そしてある日少年は泣きやみ、そして雨もやんだのだった。
 少年はあの日雷の落ちた場所までぬかるんだ道を歩いた。
 しかし、その人の死体を見つけることはできなかった。…そこには川ができていたのだ。
 その人が言った通りだった。ここに集まった雨は、もう海への旅を始めていた。そしてその人も…
「みんな海へ旅立つんだ」
 そうつぶやいて少年は川の流れていく先を見つめていた。
 そして、その日少年も旅に出ることを決めた。
 嵐が去ったばかりの風はとても強かった。風の中、まだたくさんの雲が残る空を少年は黙って見上げた。その人と違って少年には明日の天気もわからない。けれど、それでも少年はもう川にそって海へと歩き始めていた。
 それが、少年の旅立ちだった。

あとがき
 97年2月の作品です。
 最後の投稿作品でした。放送に間に合ったのかはわかりませんが。まだネタはあったのですが、番組のほうが終わってしまいました(^〜^;)